(四)平安密教と修剣道は物怪祓いの専門家(悪魔降伏法と護摩法)
陰陽道が神道の言霊、呪禁道の厭魅蠱毒法等を併合して百鬼夜行を横行させ、悪霊払い=神の怪祓いとしてのスペシャルリストの地位を確保して、政権を欲しい侭にして勢力を拡大している頃、最澄と空海は八0四年に唐に渡り、密教を持ち帰り、桓武、嵯峨両天皇の愛敬と引立を受け、平安の都を中心に繁栄していった仏教(密教)が最澄を中心とする天台宗(天台密教(比叡山・滋賀の円覚寺))と空海を中心とする真言宗(真言密教(京都の東寺・高野山))であった。平安京は後章でも説明するが、陰陽師の指示により遁甲形式による唐の長安を見習って築造された条路の都であり、初めから、地相学にて地の利を選び、四神(禽)相応の結界の外に、二大宗教(真言宗、天台宗)の鬼門の守り、それに加えて、御霊神社にて守られた防備万全の対策を施した都であった。
 日本には最澄、空海が密教を請来する以前に、密教の一部だが断片的な密教呪法が伝わっており、奈良葛城の役の小角(七世紀始め頃に活躍し修験道(山岳密教)の開祖と云われ、善鬼後鬼を従え数々の奇跡を起こしたと云われる)を筆頭に、その弟子能除太子、越の泰澄、道滋律師、山階の玄肪、弓削の道鏡等が著名であった。仙人としては久米仙人等もおり、彼等は何れも密教的呪文を誦えて数々の神通力を駆使して、人々を救済する等の数々の奇跡を行ったと言われている。だが、いずれも密教呪文の一部、例えば孔雀明王経、宿曜経、不動尊陀羅尼・・等々による呪文等で、而も、断片的で教理体系は存在していなかったようである。
 しかし、唐から彼等が持ち帰った密教はどんな目的用途にも対応できる儀軌(呪法次第・修法形式・観想法・念誦法・・・等)・教理体系、組織体系等を整えた宗教であった。そして、その修法手順に於いては先の陰陽道が、筮占、式盤等にてその原因を占いて後に呪詛法と云う手順を必要としたのに対して、密教はそれ等を簡素化し、今迄の道教の巫祝(フシュク=日本の巫女の神懸りも類似し、イタコや口寄せ等にも類似している)や神道の巫女等が(ミコ=神懸りとなって神託を伝える者)行った降神、降霊等の術を巧みに応用して、霊媒能力のある一般婦女子を霊媒とした「依坐(ヨリマシ)」により、一般人でも神々や霊と直接会話出来る方法を開発した。そこでは即原因が究明出来、而も、信者や一般人が納得し易く、共に修法呪法等に参加が出来、宗教的神秘体験が共に経験出来ると云う利点があった。宗教側としては宗教の神秘を親しく直接理解させられると云う利点や信者を神仏との直接対話を通じて神仏に対する言い知れぬ畏敬の念を持たせ、恍惚状態とし、異種独特の雰囲気の中で暗黙の了解と説得を得て、疑念を抱く暇すらない状態に出来るとの利点があった。
 現世利益を目的とした密教の修法は、聖朝安穏、鎮護国家、怨敵退散、悪魔降伏、息災延命、富貴円満、和合敬愛・・・・等の全ての欲望を満足さす宗教であり現世利益を善とする宗教であった。而も、煩悩のままで、生身のままでも仏になれる〈即神成仏〉を説き、民衆にも宗門を開放すると言う、当時では夢の如くの斬新且つ革新的宗教で、先の神道呪禁道陰陽道等の現世利益的神通力や超能力等を全て兼ね備えているとの触れ込みあったので、貴族は勿論一般人でも祈祷がして貰えて御利益が授かる宗教として確固たる地位を築き深く大衆に浸透して行った。
 密教とは元々古来のインドの仙術呪術信仰(バラモン教・ヒンズー教・マニ教・ジヤイナ教・・・等)等の呪術、仙術部門等を佛教の中に取り入れ七世紀頃体系化し組織化されて完成した宗教で、中国を経て、彼等「龍猛(竜樹)・金剛智・不空・恵果、一行・最澄・空海・円仁・円珍」達に依って招来され、日本で開花した大乗佛教の一系流である。
 日本では前述の如く、平安朝の表鬼門丑寅(艮)の守護としての比叡山の天台密教(台密)。裏鬼門未申(坤)の守りとしての東寺、和歌山の高野山を中心とした(真言密教(東密))がある。密教の本尊は表向きが大日如来(奈良の大仏も大日如来だが釈迦=大日との思想があり華厳経に基づいた大日如来)であった。釈迦=大日如来とする宗派を密教側は顕教と呼び、自らの宗派は大日如来の真説であり真教であると主張した。だが、密教の本尊は種々雑多で、現世利益に対応して、本尊が設定される為、大日如来そのものを本尊として祭祀している寺院は少ない。でも一応、所依の経典は何れも大日如来主尊(台密・東密とも)とする金剛頂経と大日経である。主に台密は大日経系流を継承した理論が中心であったが、東密は金剛頂経系流を継承し、修法儀軌を重要視して呪文(真言=陀羅尼)等をとなえる実践派であったようだ。後世の修験道はこれ等の密教を母体として、神道、呪禁道、陰陽道等の長所を加味した山岳密教(仏教)の一系流として発達したと云えそうである。密教がこうした発展を遂げられたのは日本に既に密教の受け入れる為の土壌が神道呪禁道陰陽道等によって作られていたからだと云えるのであった。
 さて、密教の説く理論(主に東密=真言密教)を略述すると
 (一)六大縁起論と云われる縁起論がある。一般佛教の云う縁起論とは少々異なり、易の五行(木=仁徳・発展) 火=(礼徳・目標) 土=(信徳・堅実) 金=(義徳・改革) 水=(智徳・要領)と類似した五大(地大=(堅固・不壊の義) 水大=(湿潤・摂持の義) 火大=(煙火・離散の義) 風大=(動揺・長養の儀) 空大=(相応・自在の義)と識大=(認識・識別の義)を加えて六大とし、六大が円融して万有の素成を形成すると説く縁起論で、物心二元論的(五大が物質(元素)・識大が物質に付随する精神作用)不二論を主張する。易の五行と密教の五大を便宜上対比させると木行=風大・火行=火大・土行=地大・金行=空大・水行=水大となり、五行=五大が物質の構成要素。その個々に密教は識大(魂=精神作用・解脱の対象)加えて六大とし六大縁起論を展開したのが真言密教の開祖空海なのである。
 余談となるが、星占い等では木星・火星・土星・金星・水星等を黄道上に見たのが東洋の占星術であり、これ等を天道上に見たのが西洋占星術である。東洋は五行の木火土金水。西欧は火土風水の四行のグループにて(火=牡羊座、獅子座、射手座・土=牡牛座、乙女座、山羊座・風=双子座、天秤、水瓶座・水=蟹座、蠍座、魚座)森羅万象が生成(所成)運命等を占うのは周知の通りである。密教は易の五行に類似する五大を同じく五形・五色・五方位・・・等に配し、地を胎蔵界の大日如来・水を金剛界大日如来とする。又、火を不動明王・風を降三世明王・空を愛染明王等に配している。識大は雑形・雑色・解脱輪で金剛界等に配されている。易の五行論だけでなく陰陽論の原理論迄も余すところなく包含している。又、易の九星気学等の運命盤に匹敵する「曼荼羅」までも完備していた。又、密教占星術なる宿曜経は黄道を分割するものであり、西洋の星座に似て名の二十八宿(二十七宿)も整備されていた。
 さて、六大縁起の「縁起」とは関係性と意訳できる言葉であるが、インドで発明されたと言う「0」の発明を契機として、インド哲学の数論(ニヤーヤ)の発達への効験度は勿論の事、仏教思想の智の根本思想である「空の理論=縁起論」等の理解度に大いに貢献したのであった。
 縁起とは関係性=因縁生起の意味である。我々を含めた全てが「因縁仮和合」であるため「空=0」と諦観する事であった。つまり仏教密教等が言う「空」とは全てを余すところなく否定し尽くした境界、世界で「絶対真空」なる悟りの境地=真理に微分積分し依り近接することであると言う。近代の科学者達・・・等々が云う「宇宙の根源は不可知不可視にして、存在も無く、無でも無い」とする意味と同意義にて、恰も「0」の数字のように、根源的には「虚無」だが、無ければ数学が成立し得ないのと同様に、そのような根源的な存在と感応覚知する為には全ての執着・煩悩を捨てた者のみが覚知できるもの真理=宇宙の原理=絶対的神佛・・・・等と云う事であるらしい。六大が円融自在(円満無欠で良好なる関係性を保つ事)に即応し森羅万象が生成され変易するとは仏教の縁起論の継承ではあるが、仏教の妄執から遠離する諦観すると云う意味の縁起論では無く、六大が宇宙の根源真理の構成要素そのものとの意味も含んでおり、陰陽五行論の素成論に類似しながら、物心一元論的二元論的解釈を試みたのが六大縁起論であった。
 だから、物心不二論なのか、而二論なのか未だ謎なのである。 又、それは世界観の樹立でもあり、佛教の五輪観(地輪・水輪・火輪・風輪・空輪の五輪が重なって世界が成立している世界観)五相成身観を継承するものでもあった。又、インドのアートマン(アトムの原語・極小、極細)的元素論にも類似しており、物心不二の縁起論を用いながら、諦観すれば素成的にも、本体的にも、我々も神仏も宇宙も瓦礫も全て皆同じであって、普段は執着煩悩に覆われているだけで、本来は夫々が神仏と同じ識性(神性・仏性=覚性、識性、善性、霊格・感応力)等を持つと主張した。これ等が論理的根拠となり「悉皆成仏・煩悩即菩提・大欲清浄菩薩位・即身成仏・・・・」等として密教思想の飛躍を果しながら更らなる展開さして行った。
 (参考、密教は仏教(釈迦如来=ゴウタマ・シッダルタが開祖)の因縁仮和合(因縁正起=縁起=空にて死後の魂は消滅するとの意味)を継承しての悉皆成仏(全てに仏性が有るので=性善説)と説きながら、万物は全て大日如来の所成(創造)であり、又、密教は大日如来が親しくナーガルジュナー(龍猛)に法を直接説き伝えたと言われ(鉄搭相承説)、大日如来の真説で真教(大日如来教王としている大日経・金剛頂経)だと説いている。又、全てが心の所成にて空であるとも説く主にナーガルジュナーの空理論やバスバンドウの唯識論等を継承しているが、どちらかというと、空理論に傾いている。そして如来の加持力にて、生身の侭でも、真の解脱者となれると豪語した。だが、密教は中陰思想(満中陰とも云い死後魂がこの世留まる待機期間で、魂は生前の罪科によりあの世の行き先が決定それると言う思想・魂=霊性は解脱の対象)を認める事により、死後の魂は六道を輪廻する事を暗黙の内に認めることもなって行った。)
 〔二〕六大縁起論を体(本体・根源)として、その相〔形状〕を図案化したのが、曼陀羅〔全てが集まる意〕で、これを四種〔大、三摩耶、法、羯摩〕の曼陀羅に区分した。大曼陀羅の[大]は物質の意味にて色相を表し、三摩耶曼陀羅の[三摩耶]は本誓、誓願の意味にて形象、法曼陀羅の[法]は存在するものの意味で名称、羯磨曼陀羅の[羯摩]は働きの意味にて作用、それ等各々を象徴化し図案化したものが四種曼陀羅で、個々の物体上の現象を余す所なく具象し、六大が円融して出来た森羅万象の全てに固有の現象(特性、形状、色相、名称=四種曼荼羅)が具現する。それを図案化(シンボル化)したものが四種曼陀羅で、四種の曼陀羅も、四曼不離、円融無碍(障りがない何の不都合がないの意で空)空なのであった。つまり、曼荼羅とは六大縁起を本体とするその形状で、それは宇宙図であり人間の心理図であり、無限の多様性を包括し統帥するものを人格化した縮図であり、帰一すれば大日如来となるとの意味である。
 (参考、(曼荼羅=満陀羅=慢怛羅=蔓陀羅=蔓拏羅・・等は同じ(mandalaの当て字)。
 密教は前記曼陀羅の外に色々な物をシンボル化して行った。例えば、仏像の祈願の種類よる尊容と持物・仏具と供華供物共具・・・等々、シッタン文字(梵字)による呪文や一字真言(呪文の一字=仏の真言・種字)の役割等を仏様等の種字(菩提=本誓)する曼荼羅(種字曼荼羅・・)など。又、音声、明字、尊名、経文、威儀、作法・・・等々にも印契と同じ効能を認めてそれ等を曼荼羅かしていたようだ。空海が弟子の教導の為に著した「声字実相義」はそれ等を裏付け、先の神道等の言霊・呪禁・陰陽道等の思想や呪文等々を結果的に正当化し理論付けしそれ等を継承する事にもなって行った。)
 (三)密教は六大縁起が体・四種曼荼羅が相(形状)・三密(身口意)がその用(働き)とした。その三密とは仏(大日如来)の身(身体)、口(言葉)、意(心)を三密と云い、凡夫の身口意を三業(三つの煩悩)として区別した。だが、凡夫が仏の印契を結び仏と同じ姿勢をとれば身密を成就する事が出来、又、仏の言葉=呪文(真言)を誦えれば口密を成就する事が出来、更に、仏の本誓(誓願・慈悲心)と同化感応すれば意密が成就する事が出来ると説いた。このようにして、仏の三密と凡夫の三業が融和感応すれば、凡聖不二、煩悩即菩提が実現され、生身のままで、仏(覚者=大日如来)となれると云われる即身成仏説を説くのである。つまり、前記、六大縁起が物の本質、本体を司る意味で体大、四種の曼陀羅が物の相、姿容、性状を図案化した意より相大、三密は、融和感応する作用があるので用大として、体あれば相あり、相あれば用ありとする論理学の如く、森羅万象夫々に三大有って相依相関し、円融具足して居り、而も、瑜碍(空=障りがない)との説であった。
 (参考、密教を小乗教や大乗教等に分ける場合は大乗教になるが、自力門や他力門に分けると、何れにも属さない自他不二門になる。)
 以上が、真言密教の日本での創立者と云われる空海の思想に依った日本密教の根本概念の簡略説明である。
 さて、一般佛教では釈迦の覚性を、本尊論として、法身、報身、応化身に区別する。法身とは理そのもの、真そのもの、根源的存在(宇宙の最高精神)である理法身を云う。報身(差別智身)とは慈悲により理体が我々の方に向きを変えた状態で、つまり智法身を云うのである。応化身(等流身)とは釈迦の如く現世に生まれ悟りし者を云う。
 密教では、本尊大日如来は大日経の主尊にして、胎蔵界マンダラの主尊大日如来を他の如来達の教主として位置付けて、本有・本不生の理法身する。それは、地大を中心として東(木行=風大=発展・決定心・長養・・等の儀)開いた(横門の義)ものであった。対して、金剛頂経の主尊にして金剛界(九会)曼陀羅の主尊である能主としての大日如来は智法身として一応区別はする。それは風大を中心として南(火行=火大=目標・煙火・離散・・・等の義)を開いた(竪門の義)ものであった。定慧不二、理智不二の意よりすれば、理法身とも、理智不二法身とも区別しがたい。又、性善説でも性悪説でもなく、それ等を理が統率するのでなく、善悪不二論とは表現するが、帰一すれば金胎の大日如来と云うことは大日如来の神変加持力(神力・善性の開発・現世利益・・・等の力)無くしては有り得ない「大日如来の神秘の世界」であるようだ。又、密教は釈迦教でなく大日教であるとも主張する所に特色があった。
 (参考、普通仏教では法身と言えば理法身を指し、真理そのものにて、不可知で、輪廻転生なき、無でもなく、存在も無い、超越した存在を意味した。対して、密教の本尊大日如来では理智(而二)不二法身と主張する。理論上は宇宙の活力源・広大なエネルギー・最高の霊性・・・等表現され我々と共に有る法身と言えそうだが、理法身の意味からは何かスッキリ余韻が残る。我々と共に悩み、共に修行してくれて、而も常恒に説法してくれていると言う実に有りがたい法身であるが、この意味からは「理法身紛いの智法身」であり、我々と共に同行二人として、完全無欠な慈悲と知恵あるが故に、我々が解脱する迄共に輪廻転生してくれる心優しき特別仕立て理智不二法身(理法身)が空海の説く大日如来となるようだ。)
 又、大日如来は五智所生(五智については後章にて説明)で五智の宝冠を頂く姿である。五智とは唯識の説く第八識(北インドの無着、世親の唯識論に説く思想)が基礎で、我々人間の精神、潜在意識の最下位、深層意識の最奥に「第八識=阿羅耶識=蔵識」が存在するとし、阿羅耶識縁起を説いている。大日如来の五智「如来の加持力にて」は第八識から転識得智して得られ煩悩が五智に変換されたものである。我々でもその第八識を得られれば、やっと、法身大日如来を覚智出来るとは云うが、密教は人により覚知能力に差異がある事を認め、覚智能力の高い者には最高の観想法(阿字観・月輪観、阿字は大日の種字)が最高の修法として伝授された。とにかく、佛果そのものを説く密教も空なる障壁(法相と無相)が理解度超えた存在として重く圧し掛かったようである。又、大日経によれば、通常の仏様は各々の浄土(仏界)に居られるが、大日如来(理法身=胎蔵界の大日如来)様は欲界(天界にある)の最上階、他化自在天(界)の上の法界宮に住され常恒に説法をされている。金剛頂経の主尊金剛界の大日如来は天界の真上、色欲界の遥か彼方の金剛法界宮に居られると言う。而も共に、自内証(大日如来の悟りの世界)に於いて、自受法楽(如来自らの楽しみの為に)の為に話し相手として、金剛薩?(サッタ)を始め、四方四仏、外金剛部等(鬼神)をも含めて、ありとあらゆるものを創造する創造主的、汎人論的、宇宙の活力源、究極の最高人格神的・・・・等としての大日如来様であった。
 (参考、後に、空海が奈良朝の神仏習合論を本地垂迹説(仏が本地、垂迹は神)に変えたのも、大日如来の佛徳の曖昧性なるこれ等の思想の解釈によって説かれたのであろう。) 
 だが、如何に、大日如来の自内証(心の中)の事であっても、一般には天界の上とは云え神々や天人達の棲む世界は欲界であるから、当然、一般仏教の云う所では欲界(神界=無色界)は真の解脱は得られず輪廻転生することになる。その言い訳は一般仏教では釈迦=大日を説くので顕教で、わが密教は大日の真教だから何の矛盾もないというのであった。これ等から推すると、このことは、大日如来の加持無くしては有り得ない理想世界事を表現しているのかも知れない。
 さて、上記の密教の考え方、非常に画期的で、漸新的で、当時としては驚賛すべき思想ではあったが、その深遠性と神秘性と難易性の為に一般人の多くには曲解と誤解の中で理解を越えた存在となっていった。(天台宗の台密は理論を中心とした為、後に、密教といえば実践を主とする真言宗の東密を指すようになった。)
 その(一)は、即身成仏に対する曲解である。難行苦行せずとも、生身の肉体のままにて、煩悩のままで汚れた心のままでも、三密を成ずれば夫々の資質に応じた神仏になれるとの思想は、裏を返すと一般人からは煩悩の(本能の)侭に生き、人の血肉を食らい、精気を吸いとる夜又、羅刹、悪鬼神、悪霊、魑魅魍魎、妖怪、怨霊、精霊、動植物、瓦礫、天人から神仏至るまで・・・・等々の全てが、大日の化身なると解釈出来ることから、誰を神々として信じようと大日如来に通る道だと解釈された。又、僧達からは即身仏(ミイラ)ならんと憧れを実行する輩らも出るに至ったのである。又、困った事にはどんな悪事をしようと、執着心がなければ大日如来に通ずる道だと言う邪教までも出現し始めたのであった。
 だが、今まで述べたことにて御解り頂けたように密教の云う所の祈祷(呪詛法)とは、一行の著した大日経琉に云う如く「加とは仏の光が、行者の心水に映ずるを云い、持とは、行者の心水が、仏日の光を受持するを云う…。」とあるように。(この一節は、加持祈祷(マジナイ)が何故、効験、霊験あるのかを説明する根拠に常に引用されている。) これは大日如来の加持に依って、行者の三業が浄化感応され三密となって、現前する、大日如来の加持によって実現する、悟りの世界(理想世界)=同行二人の世界なのであった。
 つまり、如来と行者と信者が「信=心水」を通じて意気投合する事が重要で三者が「信義(心水)」を通じて意気統合出来た時、大日如来の加持にて加護庇護が加わり、実現する理想世界であり、真の解脱世界であった。我々や行者には一瞬の擬似解脱体験であり、刹那的な擬似解脱を通じて真の解脱の誘いであり、確かな目的を見失わない為の如来の慈悲だと解釈すべきものであった。そこで、彼、空海は死の直前に[虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きれば、我が願も尽きなん]と言い、自分の思想が、その時、解脱の直前迄、真理であり続けると断言したのであった。
 (二)又、密教は本地垂迹説を用いて、従来の神々を否定するのではなく、肯定的寛容性のもとに包み込み、自らの神々を高めて居った。そこにも又、良い面と悪い面の両面が常に混在した。例えば、凡聖不二、煩悩即菩提・・・等の考え方と同じく、我々には神も仏も善神も悪神も・・等皆同一と考えられ、神仏の特性は勿論軽視されて鬼神即福神とも成り正当化され理論付することにもなった。
 (三)更に、密教の云う鎮護国家の真意は平等にして、如来の慈悲にて、支配なき世界を希求する事であり、怨敵退散等々とは心の中に潜む煩悩の悪魔を追払う意味であったのが、これも又、現世の自らの国を守る為のものと曲解誤解された。密教は又、法を伝える伝法潅頂と云う儀式を行ったが、僧でさえ、金胎両部の大日法を授かったものは稀であった。密教は一般のものにも僧門を一部称開放したが、先述と同様、多くの者(資質なき者)は一尊法(大日如来以外の一本尊の法)しか伝授されなかったのも事実であった。だが、当時としては、一般の者にも宗門を開門解放した意味は大きかった。(弟子の養成所として種芸種智院創設した。)画期的なるが故に誤解曲解される要素があつたのである。
 さて、神聖な場所(道場)を選び、壇上に曼陀羅を敷き、祭壇「曼荼羅壇」設け、目隠しをした弟子を曼陀羅壇へ師匠が引率する。そして、引率して来た弟子の合掌した手の指に挟みし花を、曼陀羅の上に自ら落す様指示(投華得仏)する。花の落ちた処の尊(神仏)が彼の弟子一生の念持佛(帰依する本尊)と定められて、その尊の祭祀念呪修法次第・・・等が伝授されたのであった。例えそれが、鬼神、羅刹、魑魅魍魎等で(曼陀羅に描かれている物全て)有っても、それを本尊として、祭祀し、その経意(教理)、念誦法、儀軌等を師子相承(血脈相承)として受け継ことなるのである。何故なら、それが彼の持つ資質と器と看倣されたからである。従来は師が弟子の人相や性格を観相し選びし事より、客観性が有り誰にも納得行くものとして一時は歓迎されたのであった。
 この事は、先にも述べた如く、一般の人々にも僧門(宗門)の門戸を開放した意義では進歩的で、好意的に人々に受容れられたのは良いが、他方、正当な理論と修養を学ばずして、僧となった。僧であって僧でない輩も出現し、又、鬼神(鬼道)を本尊として祭祀する僧などを生み出し、やがて、彼等の集団からは、理論より、現世利益(霊験)を即実現する修行そのものが重要となり、神通力超能力霊力妖力・・・等が手段から目的化して行き、それを得る事が最重要とする輩が多く出現して行った。
 このことは後に、仏教本来の覚者道を、人格完成の道を踏み外したことに絡がった。正に、宗教の文化革命であり、職掌の専門分化と云った様相である。
 つまり、修行こそ第一義として、修行の如何に依り、守護神(守護霊)も高まり、霊媒、霊視能力、招神、招霊、降霊等の能力・・・等も高まり、使い魔(陰陽道の識神のように、使役する者(物))等にも差異(優劣)が出来るとする考え方が優位となった。又、「秘密を持って尊しとすべし」とする密教秘密主義的修行の有り方は陰陽道が自らの呪詛法と修行方法を秘密としなければ他よりすぐれた法力(神通力・妖力)を得ることが出来ないと考えた事から、過酷な修行等に耐えて、特異な呪詛法を編み出したと同様に、現世利益や金儲けを目的とした「行者さん・拝み屋さん達」が出現した。霊供養宗と祈祷宗の誕生を促したのである。
(参考、これは密教の云う、如来秘密、衆生秘密、即ち、如来が自ら秘密とはしていないが、衆生の器(機根)によって法の誤用を防ぐ為、秘密としていることを、誤解したことを意味するようだ。誤解した人々の一部は独特の呪詛法を持つ事を得意とし、僧であって僧でない者達(行者布教師拝み屋さん)等が多く排出していった。彼等は特異な集団意識にて地方分権的半独立集団を作り、特定の社寺には一応所属しているものの、世俗に家を持ち、山岳信仰を善として、祈祷の専門家と自我自賛し、帰属する本山とは異質な修験道(マジナイ宗)を発達させた。又、祈祷や霊供養等の専門家としての修験道等をも発達させた。そしてその弟子達は更に専横で独立独歩となり、師を開祖にして、神仏と同等なる権威と力を有する者として崇め奉る怪しげな宗教集団等をも作り上げて、地方にドッカリ胡座をかき根付いて行った。)
 鬼神羅刹等の邪悪な者を駆使し、それを尊崇する法しか知らない、学べない僧や修験者達によって、現世利益を主とする魔性の者(鬼神や鬼道)達の魔道の妖術等によって非難を己惚れに変えて、生活の糧を得る手段として正当である如く宣布していったのは当然であろう。何故なら彼等はそれしか知らない者のではあるが、一般人からは曲がりなりにも密教法や神道法の一部をマスターしたもの達(僧)であり、帰属する本山からも一応免許状を貰った在家の僧や神官であり、彼等もそうであるとの自負心があったからである。だが、何度も述べた如く、彼等は正当な密教の教理、教義をマスター出来る環境に恵まれ、而も、宗教的才能資質ある精神的に豊かな者だけではなかったようである。故に、彼等の内、堕落した者の多くは、ひたすら、自らの食うが為の職業として、本能の侭に欲望を満足させんと、執念や怨念を持って修行の過酷に耐え抜き、魔性化を成就し、神仏への礼拝と同じく、本尊である鬼神の徳を讃え、庶民の悩みを即解決する知恵、即ち、過酷な修業と山岳の修業で得た体術、薬餌、除霊法、その他を似って、鬼神を、福の神として、自らの財をも豊にする財神として、鬼神の祟りをも無視し、恐れず、手段を選ばずガムシャラに、サクラ等を使いながら、宣布し喧伝し賢伝して、次第にその勢力を地方へと広げて庶民の直接の良き相談相手となって行った。
 (参考、修験者行者達(男女)は、一般に僧の如く頭を丸坊主にするのはまれで、一般人と同じく有髪であった。その点では神道陰陽道等の神官陰陽師に類似していた。だが神衣(スズ懸け)や僧衣(ネ法衣)ではなく、通常は白衣(白衣の着流し、又は、白衣に袴)に錫杖、頭巾、法螺貝、袈裟・・・・等を身につけた独特の出で立ちで、神仏合体(兼用=混合)などと称して、仏教や神道、陰陽道等の区別なく、頼まれれば、どんな仕事でも引き受けたらしい。)
 密教が、人々(衆生)の為を期し、自らの仏教生命を維持せんとして、鬼神をも教化した。又、他宗の神々の多くを護法神守護神等として、善神として祭祀する方法を考案したのであった。それは大日如来の神変加持力に依って、実現する理想世界の実現の筈であったのを、著しく曲解してしまい、逆に、彼等行者達の勢力(鬼道師達))とその信者達に依って、密教・仏教、その他の正教者達等自身をもその地位を怖やかされ脅迫され続ける結果となった。その為か、各宗教の正教者達を自負する僧達等までが、一部、防衛、防御の意味にて、鬼神、否それに勝る呪詛法(これについては後で述べる)等を止もう得ず使用することとなり、やがて、一部妥協しながら宗教生命の危機を回避する手段として、呪詛法等が正統制を帯び、一人歩きすることとなって行った。
 お解り頂けたでしょうか、こうして呪詛法が正当化され一人歩きするように成って行った事の次第を。
 以下、密教や修験道の呪いのテクニックを簡単に説明しておこう。
 (一)依頼者(客)が来て、災厄や災難の発生原因を尋問すると、僧や修験者は依坐(霊媒者=台)に、悩みに応じて、神、鬼神、死霊、生霊等を降神、降霊させ、依坐と依頼者(降霊降神者(依坐)と依頼者自身)が依坐に降霊した神霊や霊魂等と尋問すると言う直接対話形式が取られた。俗に言う「神降ろし・霊降ろし、神移し・・」等呼ばれるものである。修験者が依坐の場合もあり、この場合は修験者が台と呼ばれた。又、霊媒が修験者の弟子や妻・穢れの無い男女・子供等の場合も多かった。とにかく真偽を度外視すれば、依頼者には直接「神や霊」等と直接対話して、自分の悩みを究明し解決してもらえる安堵感と宗教的神秘性に浸れると云う、麻薬的で癖になるような言い知れぬ魅力が其処にはあったらしい。
 (二)かくして回答を得られれば、加持祈祷等(呪詛法)の修法となるが、その問題(悩みの災厄や災難)の強弱難易度に依り、普通の祈念法・中級の特異な呪詛法、上級の特別な呪詛法・・・等々に区別されており、依頼者と行者等と直接談合して料金供物等が決定された。普通一般の祈念法は念誦・お加持・お祓い・お下がり・・等と呼ばれる「本人のみを除災する為の祈念方法」か「祈祷札・除災守り」等を授与するのが主流であった。だが、中級となると、「使い魔・眷属・鬼神、天部の神様・霊・・・」等々を招請したり、明王様等の一尊を本尊として灌頂したりして、儀軌法次第に基づいて呪詛法要が執行された。又、上級となると、五大尊、((中央)不動明王として、その周囲(東)降三世明王(南)軍茶利明王(西)大威徳明王(北)金剛夜叉明王)等を配して特殊な呪詛法を行うか、或いは、独特の降伏、調伏等の曼陀羅や儀軌、護摩法等を用いての最奧の秘密呪詛法等を執行するかの何れかであった。とにかく、上級呪法は秘法中の秘法にて、本尊も上記の如く、何れも恐ろしき形相と神秘のパワーを秘めた超大物の破壊神が用意されたのであった。とにかく密教は目的に応じて、祈念すべき、「本尊と呪法」等を選択して、呪詛法が決定できると云う利点を兼備していたのである。
 (三)本尊が決定すれば修法次第(儀軌)により呪詛法が決まる。後は修法壇や護摩壇等を造る事になる(これは、中級、上級に於いてのみ必要)。護摩壇での護摩法の護摩とは、サンスクリット(梵語)のホーマより降魔(コーマ)と訳され、その意味は心の内なる賊心(煩悩)を神仏の智火にて焼き払う意味であった。 護摩法には二種あり、内護摩と外護摩があるが、内護摩の法は自己が煩悩を仏の智火にて焼き尽く意にて、悟りを開く為に行う観念上の護摩の事で、最秘法と云われるものである。しかし、一般的には真当に火を燃やす外護摩を、護摩と呼び、外儀的で、実にパフォーマンスに満ちたものであった為、最高の祈祷法、最高の呪詛法が護摩を焚く事となり人々もそれを敬信して行ったのである。
 (参考、密教は観念護摩(内護摩)をもって最高の法と言っている。外儀とは人に見せる為の儀式等を云い、観念上のものより劣るものであると云いながらも、通例の修法より民衆を引き付ける魅力があり、人々も火を焚く護摩法の方が迫力と神秘性に魅せられたのか、密教の呪詛法の代表的なものとなり、盛んに行われ、今でも、多くの宗派で盛んに行われている。外護摩といっても、護摩壇を用いて戸内「家の中・社寺の堂内」等で木々等を護摩壇の壇炉で燃やす護摩が普通の護摩と呼び、この護摩も人気があった。だが、正式な護摩壇を使わず戸外で仮説の護摩壇にて焚く護摩が柴燈護摩と言うものであり、超人気があったのはこの柴燈護摩の方であった。)
 (四)護摩壇(護摩を焚く炉があるのが護摩壇、それが無いのが修法壇)の形や修法壇の形式は祈念の種類にて異なるが、正式なものとして大きくは四種〈護摩も同じ〉あり、息災(健康と長寿を願う)は供具を自色にして北向きの円壇を使用。増益(豊財と蓄財)は供具を黄色として東向きの方壇。敬愛(和合、敬愛、引立)は供具を紫色にして西向きの八角壇。調伏(降伏)(悪魔退散、怨敵調伏、魔邪追放)は供具を赤色にして南向きの三角壇、等の四種があった。その中、主に調伏降伏等の主尊は金剛手(金剛薩?(サッタ))としたようである。
 (参考、金剛界曼陀羅は智門、胎蔵界曼陀羅は理門(禅定門・慈悲門)を表すが、密教美術では智門は憤怒形や刀剣は仏智を表し、仏の慈悲門は観音様のような慈顔や供養華にて表現しているのが通例である。密教では同じ仏様や神様でも、祈願の種類にて尊像は勿論その方位等も尊容も当然変容される。同じ神仏でも敬愛、息災、増益法等の時は柔和な尊容となり、降伏の時は憤怒の尊容と行った按配である。又、通例では敬愛や息災等修法は観音様のような方々が居られる「曼荼羅の蓮華部の仏菩薩様」が主尊となる。降伏調伏では「曼荼羅の明王部や金剛部の諸尊」が主尊となると思われがちだが、通常は金剛手様(金剛薩?)が変容され主尊として祭祀されたようだ。大日如来の話し相手が金剛手(金剛薩?サッタ)にて、密教では大日如来の次に位の高い尊が金剛薩?様である。)
 (五)修法壇(護摩壇を含む)は正式には儀軌に基づいて築く壇を大壇と呼び、神聖な場所を選び、瓦礫等を除き、浄地作法を行って穴を掘る。特に調伏壇の場合は祈念をしながら、穴に稲、大豆、五宝(金、銀、真珠、螺具、赤珠)・五薬(石菖蒲、射子、巴豆、鬼臼、鬼箭)・五香(安息、鹿射、甲、丁字、蘇)・五殻(稲、大豆、小豆、大麦、胡麻)等を埋め、その上に土を盛って、七日間で築くものが(七日作壇)正式な修法壇あった。急を用する場合は水壇を築くが、これは水で地を清め一日で作る略式な修法壇であった。大壇を築く場合も水壇を築く場合も少々貧乏人には費用が掛かり過ぎた様だ。呪法が終れば壊す事が原則であった為でもある。しかし、寺社等も徐々に木壇と云って、木の壇を始めから用途(息災、増益、敬愛、降伏等)別に併せて作って置く様になり、又、通常使われるものとしては円壇或いは方壇にて代表的使用するのが通例となって来た。だが、特に降伏調伏の場合の呪詛法三角壇にて、日中、又は中夜に起首し、心を忿怒(鬼心)の心にて修法を行えとか、又、呪文(真言)の後句に夜文明王のハッタ(警覚)は誦せよとか、少々小難しき作法を行う必要があった。
 (参考、何れにせよ、呪う事が如何に難しくて大変なものであったかが主なる儀軌から想像出来る。これ等の修法儀軌を更に解略化して、略式呪詛法を完成させたのが修験者等の外部の者達であった。
 さて、話は少し飛ぶが、前述したように、夜叉明王の夜叉とは悪鬼神の事であるが、羅刹〈悪疾鬼〉の親分格が夜叉で、夜叉の親分=魔王様が夜叉明王様である。彼等の呪詛法はこの羅刹や夜叉明王様が殆どで、呪詛法の主要神として選ばれたようであった。明王様とは教令輪神〈伝令者〉とも云われ、その位により伝令する部署が決められており、各部や特定の佛菩薩様達の命令を伝え教導する使者との意味があるようだ。)
 (六)修法次第(呪法次第)は、六法建てにて行うのが、通例である。六法とは『一』浄身法(護身法) 『二』結界(浄地法とバリヤを張る法) 『三』道場法(本尊を招請する為の道場を作りと荘厳の仕方) 
『四』灌頂法(本尊を招く事) 『五』結護法(外部と心中の魔障を除き去る事) 『六』供養法(本尊に供養する事)・・・等の6つの事柄である。
 この後、祈念(本尊に願いを頼み)し、再度供養し、本尊をお送り申してから、破壇作法(心で壇を破壊すると思い壇を軽く叩く事)を順次行い儀式を終了するのが一座行法である。これは願いが叶う迄、この儀式は何度も繰返し行われたのである。又、これ等を一般化したのが十八道建立次第と呼ばれているものである。
 (参考、この十八道次第は現在の僧の地位を得る為の修行にも使われている。先ず、得度(頭を剃る)次に45日間程度の加行と云う修行が必要であるが、その時の加行(ケギョウ)に使われるのがこの十八道略式念誦次第で、これを、師より伝授されるのが一般的な僧への正道である。神道等にも神統灌頂らがあり、簡単では有るが一応密教と類似した修法儀式が存在していたようであり、それ等が正式の神官への道だったようである。灌頂とは水を注ぐ・聖水を濯ぐ等の意味である。)
 (七)さて、次に、護摩を焚く時使用する木は桑、柏、松、杉、桧を細く角状に割ったもので、長さ一尺位(≒30p)の物を一般的には使用するが、厳密に云うなら息災護摩は木の末木、増益護摩では実の(果物)なる木、敬愛護摩は花木を使用せよとの規定等がある。特に調伏護摩に関しては、木は全て長さ太さも一定でなければならず、木の元を黒く塗り、一本一本を護摩用の箸で取り上げ、祈念し火中に投じる。又、護摩木の種類も桧、柏等の外に、苦木、刺木、漆なども加えて用いられた。又、それらの護摩木と一緒に呪禁道の呪い人形に似た物+陰陽道の呪符的な物に年齢や姓名等も書き込まれた呪い人形(形代)、下着、髪の毛、爪、呪符・・・等も、祈念し、九字印法を切り、宝剣にて切り裂き、火中に投じる念の入れようである。又、硬米、芥子、丸香、散香、薬種、榊、切り花、油等も同じく火中に投じられたのであった。 
 (参考、護摩を焚く宗教は多いが、最初は雨請等に利用されていたのが、次第に密教ナイズされ、神道、両部神道、陰陽道、仏教、密教、修験道・・等の系流の大半が、何れかの形式にて護摩法を行うようになった。九字印法(体印)等も然りで、密教の印契(両手の指で結んでつくる手印=神仏の手印の真似)を母体として夫々独特の印法を考案し最秘法として珍重した。密教等が多用した印契に不動金縛り印、悪魔縛り印・降魔印・霊針印・結界印・護身印・・・等々が著名である。印契も多種多様で何千何万もあったのである。又、柴燈護摩のほかに、護摩壇の上の四隅に四柱(蕨柱)を設け、四方に縄(壇線)を張り巡らし、壇上に御幣を垂らす神統護摩・両部神道護摩・神道護摩。檀線あり御幣なし、檀線も御幣もなし・・・等の仏式護摩・油護摩・・・等色々な工夫がなされ追加された。柴燈護摩の一種に行者護摩と言うものもあり、又、火の上を歩くと「火渡り」等も盛んに行われて行った。とにかく、修法壇護摩壇とは結界やバリヤを併用し、更に呪詛法までも行えると云う便利なものとして今も修法の必需品の一つなって継承されている。)
 さて、前記の陰陽道は筮占→武神→呪法と次第し、妖術的、幻想的幻術的な呪詛にて人々を鬼道に導く呪詛法であったのに対して、密教や修験道は依坐→本尊→呪法と次第し、神仏→僧(修験者を含む)→顧客(信者、依頼者)を巻き込んでの一代パノラマを実現した。実にパフォーマンスに充ち満ちたもので、宗教的エクスタシーにともに浸り、宗教的神秘な世界を体験さしながら、呪詛を行っていく所にその一大特色があった。又、どんな大事件、紛争、大軍、動乱、天災、飢饉、国家の政事・・・等々にも対応できる呪詛法(祈願法・修法次第・儀軌)等の用意が密教には整備されているとの前評判であった。
 だが、一般庶民側は陰陽道と修験道(密教)を比較して(枕草子や栄華物語によれば)次の如く区別して利用している。つまり『陰陽師は神の怪、物怪は験(修験者)者』と、彼等の効験を判じたのであった。
 物怪とは障り祟りをする魔性の霊魂の事である。密教の修験者や僧達は、陰陽師達が得意とし専門する神の怪=神や鬼神の祟りを祓い鎮める事よりも、それ等を供養したりして物怪(物・人に憑依した悪霊・妖怪)に納得行く取引・妥協・懐柔策・・・等を提示しながら、物怪達にも満足が行くよう取り計らい、無難に除霊をする為に脅かしたり宥めたりスカシたりして、あらゆるテクニックを用いて憑依した悪霊取り除かんと懸命に努力したようだ。
 つまり、孔子の言葉を借りるなら、修験者や僧達は自分の能力の限界を知り、真正直に正面からそれにと戦いを挑むのでなく、相手を滅す事が自分では無理だと判断すると、彼等は悪霊等を滅す事より、邪霊に諂い供養して鎮めたと言う事で、このような霊供養的仕事が専門で有ったと庶民は判断していた事になる。後の邪霊供養・除霊・霊封じ等の始まりでもあつた。
 とにかく、密教、特に修験道の呪詛法は実に荒々しく恐ろしいものが多い。神秘な世界に没入するだけでなく、現実的に「納得」と云う願望成就の面では、前述の如く、神仏をも恐れぬ大胆さが有った。例えば、鈎召の法がこれである。仏様や神様が、自分達の願望を聞き届けてくれない場合は、それ以上の神仏(強大な威力のある神仏)を使うか、その神仏像を〈逆さ磔〉にしたり、釘や針を刺したり、釜茹の刑にしたりしたのであった(これ等の儀式は、現代でも、しばしば行われ、奇祭として儀式化され、慣習化されて一般行事となり、祭りとして継承している社寺も多く見られる)。
 かくの如くであったので、密教は、諸宗教を含合して、勢力を拡げることが出来たのであろう。密教のよさは、その理念(哲理)と実践にあり、而も、従来の諸宗教を排斥排除しなかった点にある。だが、その哲理の良さも、現世利益を主旨とする偏りの中で、凡即仏、煩悩即菩提、大欲清浄菩薩位・・・・等とした考え方は、少々難解で、飛躍した考え方であった。何故そうなるのかと云う事が説明不足なのである。
 その為、密教者自身が警告するように、一歩、真意を曲解すれば、江戸時代の立川教(セックスを善とする宗教、インドにもこの類の宗教がある。要は、神仏との感応の喜びが、セックスに似ているとの表現と、何事にも執着しないことが悟りへの道だと云うことを曲解したのだろう)等の如く、鬼道、邪道に陥る危険性が常に表裏一体となって存在し正に諸刃(両刃)の剣となった。人々には今一歩の仏教的素養が必要であったのであろう。
 (参考、神社も寺社も明治の神仏分離迄は仲良く同居していた。その為、神道、呪禁道、仏教、密教、陰陽道、修験道等の儀式は、一子相伝の秘法を除いて混在してしまい、明確な区別がなって、曖昧であり仏密神儒道の区別も判然とせず、漠然となって行ったようだ)
 更に、密教や宗教側の現実も、前述のごとく、仏教密教神道等の何たるかを深く理解したもの(伝法灌頂や神統潅頂等を受けた者)のみが、呪詛法を行ったのではなく、一尊法や一神法のみを伝授された者(鬼神などを本尊とする宣教師、布教師、修行者達が、一般には、拝み屋さん)等が多くの呪詛法を行ったのである。その呪詛法は妖誑道としての人間の我が侭を満足し、欲望の満足を増長せんが為のものであり、当低、正道とは云い難いものであった。確かに、彼等の云う如く、宗教は体得なくしては不明な神秘な世界かも知れない。だが、決して、鬼神になる為の修行でもなければ効験性を目的とした修行でもなかった筈である。しかし、命を掛けて、食わんが為に修行して、庶民から闇の必殺仕事人として受け入れられ、優勢となった彼等には正道を自称する諸宗教(既成宗教)であっても、彼等に立ち打ち出来る力も対抗できる方策も力もなくなり、更に、権力者からの擁護が離れると、人々を教導する力もなくなり、常に、弱体化を余儀なくされた。而も、宗教に対する法的規制が無いに等しいのが幸となり、彼等は野放し状態となり、やがて、既成宗教は墓地の番人、供養坊主となり、観光寺院化へと生き残りの道を模索しながら、衰退の一路を辿って行くのであった。
 真の仏教者や神道家達、陰陽師達が一般の人々を教導したと云うのでなく(貴族、時の政府と密着した事)、実際は鬼道師達が「正道と鬼道の狭間」にて、正道の仮面をかぶり、鬼神、魔性の者等を本尊として人々を救わんとした所に、神仏に対する曲解と誤解を生み、諸宗教の形骸化を招き、更に、現代人の精神の支柱としての心迄をも失ってしまった。そして、西洋の科学が盛んになるにつれて、科学者達から迷信と云われるままに反発する意欲すら失っていった。 この現状をどう分析すれば良いのだろうか。
 少し見方を変えて見よう。皆様は御伽草子や昔話にしばしば出てくる「付喪神(ツクモ神)」なる神を御存知だろうか。付喪神とは割り箸や楊枝、茶碗・・・等未だ使用できる状態で捨てた品物や器物に憑依し、その品物や器物等を妖怪に変身さす神様(妖怪)である。我々が物に対する愛着が深ければ深いほど、付喪神は妖怪に変じさせ易いとも言われている。針供養したり、人形供養したり、割り箸を折ったりして物を感謝しながら捨てるのはこの継承かもしれない。しかし、我々は供養したり割り箸等を折ったりはするが、その意味を知る人は少ない。又、災難を避ける「危ない・桑原桑原・ちちんプいぷい・サムハラサムハラ・・等」の言葉が、いわれがある災難よけの呪文であると何人が御存知だろうか。又、大入道・一つ目小憎・・・・等々に遭った時に誦える呪文が在った事すら忘却されていることだろう。
 つまり、我々は鬼道師達や科学者達・一部の文化教養人等から、我が国日本の精神史の断絶を正当化され、我が国の自虐史的歴史観を詰め込まれた。恰も、供養等の是非のみ論じて供養の目的すら忘れさされたと同じ意味であつた。その為、我々の先祖が築きし精神史をも破壊し、我々の精神錯乱を顕著とし、我々を躁鬱病・精神障害・意識障害・自律神経失調症・・・等の半病人してしまった。何故か、それ等病的の人々が世の中で君臨している現状なのである。
 現代の思想混沌の原因がこの当たりに存在していると推せられるのである。
 だが、困った事に、宗教の衰退如何に拘わらず我々の心は「安寧と安心、目標」等を求めて渇望し、今も迷い続けているのである。
 又、現代は物の豊かにて、我々が子供の時に描いた夢の多くは現実となり、望みも大概は叶う時代成ってきた。そのギャップは大であり、更に、物と心のバランスが不統一なる時代なのかもしれない。
次の章では現代に潜む鬼道法゛検証して行きたい。