(二)鬼道法(呪詛法)の定義と分類
前節、「鬼」の定義にて、私達は莫然とではあるが、鬼道法とは魔性の者達の存在を認め、彼等邪悪なもの、悪魔、鬼神達を支配、使役して、その妖力魔力(神通力)を悪用して、人を呪う法である事が理解できた。又、それは、人を呪うためには呪者=呪う者自身も心を鬼神化(魔性化=鬼のように、怒り狂う心)を果たさなければならない事も理解できた。又、魔性の者達(邪悪なもの、悪魔、鬼神達・・・等)等自身の持つ妖力、魔力、神通力、神力等に善悪があるのではなく、私達とのかかわりに於いて、彼等の妖力、魔力等を応用せんとした事に問題があるようだとも理解出来た。又それは、外敵と云うより、我々の心の奥底に棲む魔性(魑魅魍魎や妖怪・意生達・・・等々)としての幻覚を覚知できる特異な霊能力に怯えた人間達の所業だとの解釈と、又、霊能力者を羨望視したり、霊能力過信したりする輩を、持て囃して行った者達の所業だとも解釈出来そうでもあった。
さて、現代の宗教の云う「正道」とは宇宙を支配する根源原理=神仏と一体化することであると云う。それは又、差別智と云われる相対的区別の世界観(科学的世界観)を、智の世界の限界(科学的世界=唯物論敵世界)を智の世界の限界を越える事である。それを越えて「真理=理法=摂理=宇宙の根源原理」が体得され、道=真理と一体化し、無限の自由が得られる。「否定の連続」の行く先は「無」の世界であり、生死を忘れ、是非を忘れ、時空をも超越した不可視不可知な世界である。それは、又、言葉(差別智)を絶した世界で、言葉で説明する事自体が自己矛盾となる。とにかく、無我(空)なる境地にて、体得(体感)するしかないとするのが、諸宗教の「正道」での主義主張のようだ。
言葉を換えると、これは、仏教の云う所の完全なる解脱であり、悟りであり、神仏(根源的原理)との一体化するとの意味である。それは、我々人間としの最高理想ではあるが、現実には度大無理な夢物語に過ぎない。真の解脱者とは唯一仏教の開祖釈尊だけで、以外は、釈尊が語る過去佛の話だからである。何故ならそれは全てを否定し尽くす無我(空智)での体得と、怨敵をも平等に愛する(慈=唯識)純粋純愛。それ等をも初門として、何の不都合も無き融通無碍なる世界に遊ぶ。それを体得し心身ともに実現し、真理と一体化した教王であり、融通無碍の神通自在力を有する覚者だといわれるのが、大聖釈迦独りだけだとして尊称されている所以だからである。
次元が低いが、先に述べたことを、ユングの言葉を借りると、浮遊する精神に働きかけるのではなく、人間の脳の奥底にある魂(古井戸の魂)に呼び掛けることとなる。悟りとは、それに依って、現実(実像)と仮実像(虚像)との差別から生じる妄執の弊害を回避する事を直視する事との意味となる。道家では[悟りとは道を観る事であり]、仏教密教では「悟りとは如実に己の心を見る事」であり、道とは[惑道から遠離して、聖道=覚者道=仏道(三密道・八正道・・等)を行ずることである。此処で云う、直視(見=観)とは無我=超感覚にて体験する知覚=直視=直観=体感=体得等からの所産である。それは我々が如何なる条件下にても、人間としての人格完成の道=宗教を求めて無我の境地。精神統一・無為空・・・等の精神状態にて、初めて成せる「技=苦楽を超越し全ての執着から開放された境地」であり、心頭滅却すれば、火もまた涼しいとの解釈である。だとすると、これ等は、解脱に近接した疑似体験的解脱であり、他力本願的偽似解脱である。それが小乗の解脱を棄てた大乗の解脱なのである。それはそれで、至難の業なのである。
以上が、東洋流の悟道であろう。
だとすると、これから述べる鬼道法等は、諸宗教にとっては、直観であっても、超感覚での体験であっても、魑魅魍魎の世界=幻想の世界であって、底次元での話しとなる筈である。
だが、鬼道法にはそれを育てた環境がある。そして、その環境が対象となり、人事、政治社会、文化、自然など、ありとあらゆる分野に、実に広範囲に渡り、応用されて、歴史的に培われて来たのである。これを、活用、利用したのは勿論人間であるが、その使い方を教えたのは諸宗教なのである。又、煩悩(執着)=
悪で、それを、悪霊、妖魔であると教えたのも諸宗教である。そしてそれは、全て、精神の統一なきままに人格完成への努力を拒み、正道と鬼道の狭間にて、訓練や習癖にて得たものにて、視覚や錯覚・幻覚・・・等を応用して出来る一種の魔術・武術・奇術・技術・・・・等々呼ばれるものとも考えられた。それ等も又、超感覚的に体得=知覚=直視=直観して得たものでもあった。
それはさておき、鬼道法とは鬼神を仲介者として、呪う者、呪われる者との相互の因果関係にて成立する。呪者が鬼神化して呪う行為を行うのが鬼道であるが、その行為も単純素朴な方法から次第に複雑怪奇な方法へと発展して行く過程が鬼道史であり、如何にして呪ったか、その呪い方の手順と方法を明らかにする事が鬼道法である。それは彼等が悟道を拒み、自ら輪廻転生の道を選んだからこそなせる伎で、鬼道とはこの様な人達にて作られた歴史でも有る。
鬼道法と呪詛法は人を呪い害する方法との意味で同じ意味となり、それが、用途別に整理されて行く過程を追求するのが鬼道法の発達史と分類である。それは又、諸宗教にとっては私達の煩悩を撲滅する為の大義名分であった筈である。人は何故呪い呪われるかを考えるのが鬼道史であり、如何にして呪うか鬼神化するか、恨みを晴らすかが、鬼道法である。それは又、我々の悲しむべき精神史でもある。人は何故自らの心を鬼神化して迄人を呪うのであろうか、又、宗教家は何故人間の有情として、鬼神化を成就さすのに鬼道法を考案したのか・・・・・。
さて、鬼道法を発展史的に大別すると、次の五つに分類出来そうである。
(一)、神と精霊の言魂信仰(神話と大和朝)
(二)、奈良朝の医者は呪術師(呪禁道と禁厭呪符)
(三)、奈良朝の天文学者が悪霊払い、神怪祓いの専門家(陰陽道の世界(式神法+厭魅蠱毒法)
(四)、平安密教と修験道は物怪祓いの専門家(悪魔降伏法と護摩法)
(五)、現代の鬼道法(救世主伝説、先祖伝説、霊魂)
さて、前記分類において、(一)と(二)は平安朝以前を指し、(三)の陰陽道は平安中期及び鎌倉時代に隆盛となり、(四)は平安中期から近代迄隆盛んであったと云える為に、筆者の時代感覚の曖昧性も加味されてかなり時代感覚が曖昧な分類となってしまった。要は何が鬼道かを明確にする為の便宜上の分類だと解釈されたい。
以下、次章にて、順次、この事について説明してゆくこととしたい。
少し、余談となるが、悪神も、元は善神とするなら、神が人間とのかかわり合いに於いて、悪と善の両面性を兼ね備えていると仮定出来る。だとすると、次のごとく説明がつきそうである。それは、善神と云えども、人々に祭祀されない場合は、怒り、祟り、災厄神となるが、祭祀されると善神に変わると考えられる信仰があるからである。これが、善神が悪神に変身する法則であるとすると、我々がその過程を、しばしば忘れるなら、悪神を祭祀すれば善神となると云う不思議な信仰形態が日本の信仰形態となり、根付いたと想像出来る。その代表的な神様が道真の天神様や清盛を祭る神田明神と云えるだろう。又、この形態は後に説明する密教形態でもある。そう考えると、此処で云う神様方は人が希求し創りし神様方で、日本人の弱者のささやかな反骨精神にも味方する真情が混在した、実に人間臭い、有情あふれる神様となるわけである。この事から、鬼道法とはその時代の知識人や権力者の言葉を鵜呑みにして、宗教家の方便の真意を曲解して、魔性となって欲望の欲するままに、他を害し滅す目的の為に底級なる邪霊(霊的な存在)を呪力等で駆使し、支配する方法等をマスターしたと云う事となるのであろう。
ところで、日本の宗教が素朴で純真な民俗信仰から脱皮した頃、外来の宗教の影響を受け、人々は人間の心の内面へと関心を向け始めた。それは心(心=脳?) の奥底にある潜在意識、その奥に有る深層意識(人類に共通で普遍的な無意識の世界)から、人類に托されたメッセ−ジを汲み取る事を意味していた。だが其処は、無意識の世界は魑魅魍魎の棲む幻覚世界でもあった。その為、精神を惑乱するものが全て煩悩であり、悪魔であるとの考えに至り、過酷な迄の修業が必要とされた。その様な大変な努力にも拘らず彼等の或る者は偽善と独善の非難を浴びたのであった。そこで、宗教家達は煩悩(悪魔)と上手に付き合う方法をマスタ−しようと試みた。そして、一方では、悟道の終着駅として神界、仏界、天国、極楽浄土・・・等を理想とし、装飾荘厳し宣布した。他方、運命論的倫理的因縁説と因果報応による輪廻転生を説くのであった。<心=脳とは言い切れなくても、各臓器等にも感情(心)有るとも言われている>
人間を進化論的に言うなら、チンパンジーの亜種にて、アフリカ草原のチンパンジーの進化したものが、二本足にて直立歩行が可能となり、環境の適応にて知能を持つ猿となった。これが人間である。我々人間の脳は普段は平常心を保てるが、非常時にはパニック化し善悪も見失い兼ねない。そこでは、常に潜在意識の幻覚の世界に棲む魔性(化生・魑魅魍魎)等との戦いとなり、如何にそれ等と付き合うか、マスターするかが問われる、その分岐点が鬼道と正道の狭間なのである。
本来、宗教の目的は、神秘で不可思議な事柄に対して、深い思索と精神統一とにより、深層意識の声無き声を感知し、人々の悩みに、共に、生を語り、死をかたり、人々の良き相談者となり、人々の心の安寧と周りに対する恕と配慮を希求する事が、最大の目的ではなかったのだろうか。
又、言葉を換えると、鬼道法とは、我々の心の奥底、潜在意識の幻覚の世界に棲む魑魅魍魎との戦いであるとも云えそうなのである。
以下、鬼道法について説明して行きたい。