第三章 十干・十二支説


 万物の個々にも陰陽があるように、五行の各々にも陰陽があるとの事から、その強弱を分けて、強を兄(陽)、弱を弟(陰)とし、「兄(え)、弟(と)」と云う。  図示すると、次のようである。

木(き)

火(ひ)

土(つち)

金(か)

水(みず)


(え)


(と)


(え)


(と)


(え)


(と)


(え)


(と)


(え)


(と)


きのえ


きのと


ひのえ


ひのと


つちのえ


つちのと


かのえ


かのと


みずのえ


みずのと

水陽

木陰

火陽

火陰

土陽

土陰

金陽

金陰

水陽

水陰

 和漢暦原考によると
 ★甲 史記律書に万物符甲をわかつて而して出るを云う、説文には甲は東方の孟の位にして、陽気萌え動きて木、孚甲を戴くの象に云う。
 ★乙 律書に万物生軋を乙と云う、乙は軋なり、説文には乙は春、草木の克曲して出るの象なり。
 ★丙 律書に陽道著明なるが故に丙と云う、丙は炳なり、物生は炳然として、皆顕著なり。
 ★丁 律書に万物の丁壮を云う、丁は壮り、又強なり。
 ★戊 月令の註に云う、戊の言は茂なり、万物枝葉皆茂盛する義なり。
 ★己 釈名に云う己は紀なり、皆定形ありて紀識する、月令の註に云う、その秀を含むもの折屈して起こる。
 ★庚 律書に云う、陰気の万物を庚(あらた)めるが故に庚と云う。庚は更なり、万物粛然として改更するなり。
 ★辛 律書に万物の辛生を辛と云う、釈名に云う、辛新なるもの皆収成する、白虎通には辛は陰の始成なりと。
 ★壬 律書に云う、壬の言たるは任なり。陽気万物の下に任養する、釈名に云う、陰陽交接し懐妊し、子に至って萌すなりと。
 ★癸 律書に云う、癸の言たるは揆なり、万物揆度する、故に癸と言う、月令註に曰く揆然として萌芽すと。
※『黄河の中の龍馬の背に描かれたと言うのを河図にて描くと』 

 和漢三才図会に云う、
 『天一水を生み、これを壬とし、地二火を生み、これを丁とし、天三木を生み、これを甲とし、地四金生み、これを辛とし、天五土を生み、これを戊とし、地六水を成し、これを癸とし、天七火を成し、これを丙とし、地八木を成す、これを乙とし、天九金を成す、これを庚とし、地十木をなす、これを己とする。
 天数二十五、地数三十、合して五十五とする。此所に於て、五行が数に配当される。木は三・八、火は二・七、土は五・十、金は四・九、水は一・六とする。』、、と。
 天の十干の干は幹であり、これから生じたものが十二支で、支は枝である。天に十干あり、地に十二支ありと なる。
 「和漢暦原考」に云う
 ☆子 律書に云う、子は滋にして、万物が下から滋を云う、釈名に云う、子は孳なり、陽気は始め下から崩孳 するなり。
 ☆丑 律書に云う、丑は紐にして、陽気が上におがりて未だ降りず、寥気自ら屈紐するなり。
 ☆寅 律書に云う、万物始めて生ず虫寅(イン)然たり、故に寅と云う、寅(いん)は虫寅なり。生物を演じるな り。
 ☆卯 律書に云う、卯の言は茂である、万物は茂るなり、説文に云う、卯は冒にして、二月に万物は地を冒して出でて、門を開く形象である。
 ☆辰 辰は蜃である。釈名に云う、辰は紳なり、物は皆伸び出るなり。
 ☆巳 律書に云う、巳は陽気の已に尽きるを云う、巳は已にして、陽気が畢布し已(やむ)なり。
 ☆午 律書に云う、午は陰陽交わるが故に午と云う、釈名に云う、午は忤にして、陰気が下から上って陽を忤逆する。
 ☆未 律書に云う、未は万物が皆滋味あるのを云う、説文に云う、五行の木、末で老いて木金の枝葉に象るなり。
 ☆申 律書に云う、申は陰事に用い、万物を申賊するのを云う、釈名云う、申は身にして、物は皆その身体を成し、冬はこれを申束して備成さすとある。
 ☆酉 律書に云う、酉は万物の老なり、釈名に云う、酉は秀にして、秀はものが皆成るなり。
 ☆戌 律書に云う、戌は万物が尽滅する。釈名に云う、戌は恤にして、物はまさに之を収斂し衿恤するべきなり。
 ☆亥 律書に云う、亥は該で、陽気が下に茂るが故に該るなり。釈名に云う、亥は核にして、物を伏蔵しその好悪真偽を核取する、、、云々と
 河図洛書示蒙抄に云う、
 「河図は十干を生じ、洛書は十二支を成し、十干を五行に配し、十二支を八卦に配す」と、上紀の事を纏めて表にすると、

八卦

十二支

方位

十干

陰陽

五行

四緑木星
[辰巽巳]

東南

4

5

九紫火星
[丙午丁]

6

三碧木星
[甲卯乙]

3

五黄土星
[辰戊己戌]

辰戌

中央

4, 10

丑未

1, 7

八白土星
[寅艮丑]

東北

2

1

七赤金星
[庚酉辛]

西

9

六白金星
[戌乾亥]

西北

10

11

二黒土星
[未坤申]

南西

6

8

一白水星
[壬坎癸]

12

又、「河図洛書示蒙抄」に云う。
 「清陽は天となりて、五行彰れ十干が立つ、濁陰は地となりて、八方が定まりて十二支に別る。運が移り、気が遷りて、歳々盈虚紀すべきなり、物々は上昇下降し期にて変化し、支(枝)干(幹)が配合して共に妙用に至る所以なり。而るに干の目は何人に始まったかは詳ならざるが、黄帝の時、大揆が甲子を作りて時を正す云々」と。
 十二支を十二の獣に当てはめたり、年・月・日・時間等に配当したりすることなどは、「王充」の論衡物勢篇に記述されている。 
 例えば、天の十二宮の宿に星禽と云う三十六禽を配し、一宮に夫々に三禽おり、その内の下位の十二の獣を十二属と言い「鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪」となり、月に配すと、十一月が子、十二月が丑、一月が寅、二月が卯、三月が辰、四月が巳、五月が午、六月が未、七月が申、八月が酉、九月が戌、十月が亥」とし、順次、年や日や時間等に当てはめてたようである。
 そしてそれは、干の夫々に(十干に)十二支を配当して行きて、六十干支(六十干支表)となり、空亡も定めたらしい。最初、殷の時代の太陰太陽暦での干支では、月の朔(暗夜)と望(満月)と一致させて、朔日(月の一日)を甲子とし、月の三十日を癸巳で終わるとの仕組みであったり、一年を二十四節気にて閏月を設けて修正したり、木星の周期を応用したり(木星紀年法)、周王朝の時にこの暦を更に改良したり修正したりして、春分、秋分、冬至、夏至等を設けたりして、実際の天体の運行により近づけて、より完璧なものにしょうと努力していったらしい。だが、今ではこの暦(干支暦)は実際の天体の運行とは次第にかけはなれたものとなり、その後、次第に六十干支を年・月・日などに順番に当てはめていった。そして、現在日本では江戸の大和暦等を参考とし、西洋暦に準拠しながら、陰暦(大の月ー30日・小の月ー29日)を太陽暦に直そうとする時、その修正の仕方等に差異があるなどとし、夫々がそこに秘伝がある等と称し、種々の占いの流派が乱立することになってとも云われている。
 とにかく、陰陽、五行、十干、十二支に夫々に法則あり、哲理あり、理念があるなら、統合されたこの六十干支にも夫々異なった法則あり、性質があり、理念があることにもなる。だとすると、夫々に異なった運命の解説があることともなり、種々の占術が出来ることにもなるのである。日本の五行易の中、これ等を六っに分け納音五行とする占術は「三世相大雑書」等の占い書であり、金に「海中の金」や「砂中の金」がある等と云いて占いを開始し、それにての運や定命論ものぺているのである。又、阿部清明の撰と言う「簟箕内伝」には既に天道、歳徳、八将軍、金神等の説をのせ、インド、中国、日本等の混在した神話を載せて説明しているのである。とにかく、占い者にとりて自流独自の暦を持つことが非常に大切だったようである。